Life have a meaning
by NASEBA08
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2011年 12月 15日
80年代後半からのバブル期にはオーナーの潤沢な資金を背景に
贅沢で華美な空間構築に関わる機会が度々ありました。
見た瞬間のインパクトや高級感が求められ、
空間コンセプトや快適性、機能性は後回し。
入念な打ち合わせやお互いの信頼関係構築よりも
スピード重視で最短の完成を目指す・・・
そんな慌ただしい環境で仕事を続けていた1990年頃、
ふとしたきっかけで座禅に興味を抱き、
千葉県富津市にある「鹿野山禅研修所」という施設を訪れました。
誰でも参加できる二泊三日の禅体験プログラム
「接心会」への参加が目的でしたが、
都心の喧騒から離れた立地は日常を忘れさせてくれる上、
鹿野山の自然は私を心から癒してくれました。
また、贅沢を追い求める風潮が主流の時代にあって
禅を組む場所で寝起きする。
正に「起きて半畳寝て一畳」の生活を体験することで
表現し難い不思議な安心感を得ることができました。
その後、慌ただしい仕事の合間を縫って
「接心会」に参加するようになったのですが、
1994年のある日、
禅師に私が独立する旨を告げた際に
「有っても無くてもいいものならば、無い方が良い」
・・・と仰いました。
バブル経済が終焉して日本全体に停滞感が漂う中、
もはや過剰なサービスは選ばれない。
本当に必要なものにこそ価値があり、
常に本質を見極める努力を怠らなければ
相手にとって、なくてはならない存在になれる・・・
新たな出発を間近に控えた私にとって、
禅師の言葉は限りなく深く、厳しく、そして優しい言霊として
創業時の不安定な私を支えて下さり、
いつしか私のモットーになりました。
そして現在も私のモットーは変わりませんが、
解釈は大きく変わりました。
必要な存在であり続けたいという思いは
他者と自分との比較の上に成り立っています。
従って、成長を促すエンジンになり得る反面、
相対思考が強ければ強いほど、劣等感が熟成されやすいと思うのです。
相手に喜んでもらえなかった・・・
がんばっても他社を越えられない・・・
そんな思考の連続は自信喪失を招き
根強いコンプレックスになります。
一時期の私は、なくてはならない存在にならなければ
自分は無価値だと思い込み、いつも背伸びしていましたし、
自分よりも劣っていると思える相手に優越感を感じ、
配慮に欠けた言動もあったように思います。
今思えば、当時の至らない自分を反省していますが
ありのままの自分を素直に受け入れる事ができない
コンプレックスが原因だったと感じています。
そもそも価値観は千差万別。
この世界は、ある人にとって必要であっても
別の人にとっては全く不要という相関性で成立しています。
一方で、人が創出したものは、
必要と判断した結果生み出されたものばかりです。
・・・と言うことは、
どんなに無駄なものに思えても、
例えば、世界中の99.9%が不要と判断しても
0.1%の人にとっては不可欠なのです。
その視点に立てば、
この世界には何一つ無駄なものは無いことになります。
但し、相手を無視した行動は自分には価値があるように思えても、
相手には迷惑以外の何者でもありません。
つまり社会と関わる以上、相手を思いやる意識が不可欠。
全ての存在を認め、良心に基づいた善なる意識であれば
広く社会に受け入れられるかも知れませんし、
きっと有意義な人生になると思います。
これからも年齢を重ねることで
モットーの解釈は変化すると思いますけれど・・・
唯一無二の相手を尊重し思いやる視点を大切にしながら、
自分自身を愛し慈しむことを忘れないよう心掛けています・・・
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